2016年12月24日土曜日

原城 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

かねてより、島原城に行くのであれば、原城にもと思っていた。
日野江城から車ですぐのところに原城はあった。

通りから左に曲がったところ。
国史跡指定昭和13年5月30日文部省と書いてある。

三の丸、二の丸を左に見ながら本丸跡に到着。
ここは風の通り道のようで、当日は清々しい風が吹いていた。

非戦闘員が隠れていたという空濠。

大手門付近

島原の乱の後、城は破壊された。

埋門跡

南側の土手

土手か見える石群。
配列には何か意味があるのだろうか。


手前が二の丸、左奥が三の丸。奥の山は雲仙。

1612年岡本大八事件で、キリシタン大名の有馬晴信が斬首される。
有馬氏が転封となり、松倉重政が島原藩を治めることになる。

松倉重正は、江戸城の改築や島原城の新築のため年貢の取り立てを強め、
また、キリシタンの弾圧もおこなった。

島原の乱は、キリシタンのみによる反乱ではなく、実際は有馬、小西に仕えた浪人や土着の領主も戦闘に加わっており、宗教戦争とは違う一面もあったことを今回の訪問で知った。

池尻口門跡

時の止まったように静かな場所。独特の空気を感じる。

たんぽぽ

痛ましき 原の古城に来て見れば
ひともと咲けり 白百合の花
新村 出

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