有馬氏の転封に伴い、入封した松倉重政が1624年に築城した城。
この場所に、こんな立派な石垣が必要だったのか。
が、最初の印象。
この場所に、こんな立派な石垣が必要だったのか。
が、最初の印象。
正面入口
正面入り口の鏡石
滑りたくなる坂
仮想敵国
今は、島原の乱を誘引したとも言われてる松倉重政だが、奈良五條における評価は高い。
城づくりが得意だった彼が、大名になって少しはりきってしまったとの説が大勢のようだ。
現代人は、徳川の世は300年続いたことを知っているので、大げさな城と思うことができるが、関ケ原、大阪の陣と大戦が終わった直後なので、当時の領主が、次の戦があると思っていたかもしれない。
さらに、旧領主の配下や浪人がいて、スペインやポルトガルが攻めてくることもあり得る、キリシタンの逆襲も考えられた。少しでも大きな城が欲しいと思うのもわからなくもない。
結果、島原城を攻めた旧領主の配下や浪人とキリシタンの一揆軍を撃退したので、城は役に立っている。
最上階からの眺め
この城には、武具やキリシタン関連の展示品が数多く展示してある。
再訪する機会があれば、妻子には雲仙温泉で留守番をしてもらい、じっくりのんびり鑑賞したいものである。
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